浄土真宗 本願寺派 無 量 院  久遠 山 西光寺
由緒・由来
浄土真宗本願寺派無量院久遠山西光寺は、明治38年(1905)、日立鉱山開発されて、当時新町と称された現在の白銀町2丁目の地に、明治42年(1909)9月17日設けられた、浄土真宗本願寺派日立説教所を母体とする寺院である。

これは鉱山事業に協力した永井久之助氏ら門徒が、栃木県下都賀郡国分寺町蓮華寺出身で、栃木県上都賀郡足尾町無量山専念寺を開山した藤本有教を招致し設けられた。

専念寺においての有教は、本坊の地、日立をはじめ説教所を5か所に設けるなど積極的に努めており「南無阿弥陀仏のみ教えを信じ、かならず仏にならせていただく身のしあわせを喜び、つねに報恩のおもいから、世のため人のために生きる」を教義とし布教活動を開始した。

寺名は、大正6年(1917)11月24日に、和歌山県伊都郡端場村の「西光寺」の名称を頂いたことに由来している。

更に日立市勢のめざましい発展により、助川町桧沢、現在の弁天町3丁目に説教所や火葬場など設置したが、折りしも昭和17年(1942)10月、太平洋戦争激化による株式会社日立製作所日立工場拡張に伴い、工場に隣接していた当寺院は、現在地の城南町3丁目5番15号に移転した。

戦後、昭和23年(1984)、住職藤本顕教の代に門徒の協力のもと、足尾町より専念寺本堂・鐘楼が移築され、戦時供出した梵鐘を戦争・戦災犠牲者に対する「慈悲の鐘」として復元した。

2代永井久之助氏より兎平、城南町4丁目の現在の墓地も寄進され、住職藤本昭教の代に活発に墓地造成が進み、広く多く増加した門徒の安らぎの墓所となっている。
(1994)12月には庫裏を新築した。

重ねて平成14年(2002)11月には、本堂移築50年の記念事業として、同じく浄財により薬医門形式の山門及びくぐり門の新築、本堂内陣仏具の修復、築地塀の建設、並びに境内・墓地駐車場・階段の整備を行い、今日に至っている。

合掌
 
浄土真宗 本願寺派 無量院 久遠山 西光寺 〒317-0077 茨城県 日立市 城南町 3-5-15